虐待

加害者のこと

(文中、兄=加害者=長男 です。統一せず気分で表記を変えています。) 私が乳幼児〓幼稚園児で兄が小学生の頃、兄と私は普通に遊んでいた。 年齢が離れていたので外で一緒に遊んだ記憶はなく、就寝前に布団でトンネル作りとか枕合戦とか、そういう遊びをし…

サバイブのこと(11)

正直、当時親と会う時間は私が実家に住んでいたときに得られなかった(各自自室に鍵かけて閉じこもっていたから)兄抜きの親子の絆を作り直す時間だという感覚もあった。だから、私たち親子はこの時間を大切にしなければならないのだろうとも。 しかし父は兄の…

サバイブのこと(10)

過食はあっさり止まった。しかし過食を止めたのと入れ替わるように、その頃から体が思い切り不健康になった。 過食で体がボロボロになっていたからか職種がディスプレイにらめっこ系だったからかは解らないが、肩こりと頭痛と眩暈と吐き気に悩まされるように…

サバイブのこと(9)バラ色の嘔吐期間

一人暮らしを始めてから私は大学を休学した。 過食とバイト、あとこれは簡潔に表現できないのだが外の世界に出て息をしていくことへの渇望と焦燥感、に忙しかったからだ。 休学をするにあたって父親をどう説得したのだろう自分は?と今でも本気で不思議であ…

目的

このブログの目的ってなんだっけ。またまた考えてみた。 ちゃんと検査したこと無いけど、多分私は子供を出産できる身体だ。私は体力が慢性的に無いので、入籍もしたとこだしそろそろ自分が子供産みたいか産みたくないか考えようと思っていた。 それと平行し…

サバイブのこと(8)

私はその頃一人の男性と付き合っていた。サークルで一目ぼれした、例の先輩である。 先輩との付き合いは終始ギクシャクしていた。 私は性的な関係というのに構えを持っていて、念仏のように「きっと彼は兄とは違う、兄とは違う」を心の中で唱えながら彼に突…

サバイブのこと(7)

18-20歳頃、私は家で長男の姿も見かけなくなったし両親ともあまり交流しなくなった。高校時代から長男とは口を聞かなかったし両親とべったりってわけでもなかったが(かわりに自分自身とべったりだったけど。)、お互い狭い家の中で気配は感じ取って生活して…

サバイブのこと(6)

大学に通い始めて私は劇的に変わった。 前回「意思も、力も、金も、家族も、自分の体も、なーんも大切にしているものが無い」と自覚したと書いたが、そこから180°方向転換してやたらと何でも大切にするようになった。いや、そのときの行動がすべて「大切にす…

サバイブのこと(5)

高校は仮死状態でもなんとか卒業した。だが大学受験は上手くいかなかった。上手くいかなかったというのは・・・ 私は高校三年(多分夏前くらい。良く覚えていない)になってからいきなり、志望方向を普通教科ではなく専門色が強い美術系に決めた。たぶん、周囲…

サバイブのこと(4)

仮死状態の高校時代には、ちょっと変則的なサバイブ因子もあった。 担任の教師がガキ大将タイプで、彼は生徒が活き活きしている姿を見ないことには気が休まらない、という私にとっては迷惑な趣味をお持ちのようだったのだ。何か彼にとって問題と思えることが…

サバイブのこと(3)

私の高校進学の頃、奴(性虐待加害者で実家の長男)が家に戻ってきた。暴力健在。部屋に鍵がついたので私が接触を受けることはなくなったが、両親が留守のときは部屋の扉をガチャガチャ言わす。両親がいるときは父との格闘か、両親の扉付近でなんかダンダン…

虐待の記憶(5)

長男による性虐待に一度だけ父が介入してきたことがある。 父が長男を回復させようと努力していた頃、長男が父に私への性的いたずら(←ここはあえて「いたずら」と表記)を打ち明けたらしいのだ。それを聞いて父が私に『それらしいことがあったか』と尋ねて…

サバイブのこと(2)

中学生のころの追記。 中学のころは生活こそ問題なかったが、自分に問題が無かったわけではない。 小学生のときよりは分別がついて自分で虐待現場であったことを客観視するようになるとそのあまりのヤラレっぷりに愕然とし、また、性の仕組みを知ったり周り…

サバイブのこと(1)

さて、虐待を受けることとそれを改善できない環境にいた間、私はどうやって生きていたかというと、うすぼんやり生きていた、という感じだった。 小学校のころは虐待最前線にいたが、自己を客観できないという幼児性もあいまって、メンタルというよりかはフィ…

虐待の記憶(4)

ちょっと生々しい内容、ご注意! 小学校時代、家のなかで逃げても加害者に捕まると、あとは性的接触だ。肉体的不快感もひどかったが精神的に潰され続けたことの不快感のほうがいまだに尾を引く。 強制的に呼びつけられて脅され口止めされたあと、加害者側だ…

家庭のこと(6)

私が成人になったころ性虐待のことでひどいフラッシュバックを起こし、もう家にいられないと思ったので一人暮らしをはじめることにした。(ヒステリックな性格に見えただろうなあ。) 私がえらい剣幕で家を離れたあとの実家は、長男がどんどん幅を利かせ陰惨…

家庭のこと(5)

実家にもイベントはあった。家族マージャン、旅行、家族会議(笑)、外での食事、etc。楽しいふざけあいもあったし、みんなで歌を歌ったりもした。それは、長男が家庭内暴力をするようになってからも。しかし暴力が始まった年頃からはさすがに長男は素直な参…

家庭のこと(4)

亭主関白の続き。 実家はモノには困らない家庭であった。 欲しいものは言えばたいてい買ってもらえた。父の気に入る形で。 というのは、母や私(長男はわからん)が必要なモノ・欲しいモノがあると一家の財布である父にいい、値段交渉し、それで買ってもいい…

家庭のこと(3)

私の父と母は、結婚した当初と現在では関係性が微妙に変わっている。結婚当初〓子供が成人するまでは、いわゆる亭主関白の夫婦だった。 母は毎月決まった生活費のことしか知らない。父の給料がどのくらいか聞こうとすると「探りを入れた」だけで激怒するので…

家庭のこと(2)

私の母は、どういう人だったんだろう。彼女は存命中だが過去形でしか書けない。 母は、私をとても愛してくれた。父も私を愛してくれていたが、彼のお山の大将的鈍さのせいでその愛情は受け止める側に届くときには何割か減っていたか、もしくはもともとその形…

虐待の記憶(3)

小学生のときは実家が3Kのアパートだったので、両親が留守だと家はとたんに狩場と化した。学校から帰って親がいないと、とても緊張する。奴(加害者)が帰ってきませんように・・・。奴が帰宅し、家に私しかいないと、絶対に呼びつけられる。ので、あらかじ…

家庭のこと(1)

私の父親は親類縁者の中では、わがまま(正義漢としてのわがまま含む)で有名だった。 彼が威張っても誰も刃向かってはならないという暗黙のルールがあり、暴力の下地があったということだ。父はそれを自慢に思っていたようだし、いまでも、ガキ大将的誇りを…

虐待の記憶(2)

受けたのは性的な接触だが、両親が留守にすると、4つ年上の加害者は私を支配することに専念した。 小学校低学年の子どもをあれやこれやの手で脅したり言いくるめたりして追い詰め、性的な要求をし、気まぐれにほかのどうでもいい欲求までぶつけ、巧妙に口止…

虐待の記憶(1)

小学校低学年から高学年、までがわたしの直接の性被害期間だ。 中学生のときはは加害者が一時期家から離れていたので接触なかった気がする。 でもずっと隙を狙われていたし、接触事実がどうこうというのは、実は記憶が朦朧としていて、よくわかんないのだっ…