虐待の記憶(3)

小学生のときは実家が3Kのアパートだったので、両親が留守だと家はとたんに狩場と化した。学校から帰って親がいないと、とても緊張する。奴(加害者)が帰ってきませんように・・・。奴が帰宅し、家に私しかいないと、絶対に呼びつけられる。ので、あらかじめ襖にテーブルや箒などで衝立を作り、バリケードを作っておく。奴は一人だけ台所を挟んだ向こう側に別部屋を持っていたので、居間側には普段からあまり用が無いのだった。

ドキドキしながらひとりで過ごす。そういえば動物番組でみた「肉食動物をやり過ごす小動物」をイメージしていた。木の葉や小枝そっくりになる虫に憧れたりしたなあ。おっと余談。
奴が帰ってくると、「オカアサンハ?」ときいてくる。襖越しに「知らない」と答える。とたんにいつもは入ってこない居間側の襖を開けてこようとする。バリケードで襖は開かない。奴が怒鳴る、襖を蹴る、開かないと宥める、そっちの部屋に入れてくれと頼み込む。
変なことするから嫌だといってもソンナコトハモウシナイ、ハナシガシタンダの一点張り。(でもするのだ。赦しまで請われる、のおまけつきで。だいたい話をするって、なんだかよくわからない)

バリケードを保てたかもしれないし、怒号にやられて襖を開けてしまったこともあるかもしれないし、物理的にバリケードを突破されたこともあったかもしれないし、すぐに母親が帰ってきて事なきを得たこともあったかもしれない。(母も父も性虐待のことを知らなかったが。)

親が留守かもしれない日はなるべく家に寄り付かないようにしてはいた。しかし遊びにいくといっても毎回はきついし、一旦家に戻ってから遊びにいくというその一旦も怖かった。積極的に友達を訪ねる性分でもなかったので、あとはブラブラひとりで道草をするくらいしか思いつかない、そして帰り道に目的も無くブラブラしているのは世間体が悪かったので、いつも、どう行動すれば難を逃れられるかを迷っていたと思う。

外は危険がいっぱい、無事に家に帰れるように集団下校なんてよく学校では実践していたが、内心、「私は家が一番危ないんだけど」とぼやいていた。誰にもいわなかったけど。

で、最近の教育ではそんな何もいえない状態は良くない!子供がNOといえるように!という運動もしているとちらほら耳にする。NOというには勇気が要ります。子供という立場だと特に。
だから子供の勇気をあてにせず、先に大人を何とかしませんか