サバイブのこと(1)

さて、虐待を受けることとそれを改善できない環境にいた間、私はどうやって生きていたかというと、うすぼんやり生きていた、という感じだった。


小学校のころは虐待最前線にいたが、自己を客観できないという幼児性もあいまって、メンタルというよりかはフィジカルなサバイバルだった。このころ学んだサバイブ術は、
感情的になるな、慌てるな、やられるぞ!
家に親がいないか事前に確認取れ、やられるぞ!
バリケードをはずすな、やられるぞ!
とか、そんなもんだ。しかもこれらはあまり役に立たなかったという実績までつく。
ちなみに、大人が真っ先に考え付く「誰かに助けを求めろ」は、今考えてもやっぱりムリ。そりゃあ誰かに助けて欲しかったけど、加害者の口止めも奏功し、わたしは親に「家にひとりにしないでくれ」と口をすっぱくして言うのが関の山だった。それに対する親の反応はだいたいこんな感じ、『留守番怖いなんてぐみは甘えんぼさんね』。・・・念じれば通じるなんて嘘だぁ。念じて変わるのはせいぜい自分の中身だけだ。(←大人になってからは、だから信念を持つことが大事なんだとわかりましたよ)


中学生になると加害者だけ遠方に住んでいたので、おおむね良好な生活だった。虐待のことは時々思い出してモヤモヤといやな気分になったが、「自分の体験は幻じゃない、よね?あれはひどいことだよね?」と不安になり、第三者相手に記憶を掘り下げようとしても、親でも教師でも友人でも誰でも、打ち明けるまで話が至らなかった。・・・アプローチが悪かったんだろうか。陰気だったかな。逆に陽気な感じで伝わらなかったかな。もしや、メンドクサイと思われた?などちょっと悩んだが、生活に問題はなかった。
そして私の高校進学と同時に奴が家に戻ってきた。