サバイブのこと(4)

仮死状態の高校時代には、ちょっと変則的なサバイブ因子もあった。
担任の教師がガキ大将タイプで、彼は生徒が活き活きしている姿を見ないことには気が休まらない、という私にとっては迷惑な趣味をお持ちのようだったのだ。何か彼にとって問題と思えることが発生すると、その生徒を呼び出していつまでもどこまでもケアしようとする。目立たないようにしていた私も何度か呼び出されたが、家庭や過去の虐待の問題を彼に打ち明けたかというと、打ち明けるわけがない。どんなに追い詰められても、言えない人には言えないのだ。


通っていた高校の生徒は、別に彼がいなくても輝く力を持っていたと思うのだが、彼は関わって行きたいほうであった。
私はいつまでも彼の目の前でどんよりしていたから、内心相当邪魔だったと思う。最後の最後まで「ワタシ活き活きしてまっす!」というサインを彼に与えなかったのは、私と、あと一人くらいではなかったか。私のは反抗心でも自立心でもなんでもなくて、どんなに「先生の熱意にうたれました。反省して、これからは活き活きします」と言っても明らかに嘘か場逃れにしかならなかったのだ。


彼が当時の私の「辛い坂道」を「険しい山」に変えたのは、言うまでもない。幸いというべきか、このころは外界に対して心が本当に省エネだったから、そういうきついストレスがあっても他人事のようで、そう大変には感じなかった。(そのぶん、あとでどっとツケが回ってきたように思うが、それはまた別の話。)