サバイブのこと(11)

正直、当時親と会う時間は私が実家に住んでいたときに得られなかった(各自自室に鍵かけて閉じこもっていたから)兄抜きの親子の絆を作り直す時間だという感覚もあった。だから、私たち親子はこの時間を大切にしなければならないのだろうとも。
しかし父は兄の問題に触れようとしなかったし、母は私に兄のことを愚痴りはするが改善策を一切持たなかったし、私も「昔兄からされていたこと」を誰にも言い表せなかった。両親と私が真心を込めて交流を試みたつもりでも、結局私達が兄の問題から逃避しているという事実を埋める事はできないのだ。それらの撞着が私の体の負債となって表出していただけではないのか。


・・・なぜ両親ではなく私の体にだけ表れるのか。私はとにかく死なないことを目的に時期遅れながらも独自の成長期を経たことで*1精神的に大人としての体裁は保ってはいるが、本来の成長期の成長を妨げたもの(両親のもつなにか)との離別には至っていなかったし、危機を回避しつつの少々歪んだ成長だったように思える。それが今生活エネルギーの搾取への無防備に繋がっているのだ。つまり


両親は私が大人になったのをいいことに自分たちの逃避の数々を正当化できると見込み『ぐみももう大人なら親の苦しみをわかるだろう我々の努力を認めろ』と私に詰め寄ってきているのではあるまいか?両親にその意識がなくても結果としてはそう言っているも同然だ。だけど私には兄に性接触を受けたことを正当化することはできない。性虐待の体験が逃避への追従を押しとどめるのってキッツイ皮肉にも思えるが、でもいいんだそれで


早速恋人に「私は親と会うと特に肩がひどくなる」事実を打ち明けてみた。
恋人からは事情を理解したとか納得したとかそういうお返事をいただいた。しかし恋人には言えても面と向って親に言う事はどうしてもできなかった。
結局同じペースで親との交流を持ち生活は進んでいったが、恋人が学校を卒業し遠方に就職するのにホイホイ便乗し(ちゃんと合意のうえですよ)、「現地で結婚するから」と段取りを組み私は円満に両親の住む街を離れた。

*1:誰の成長期もその人独自のものであると思う