サバイブのこと(9)バラ色の嘔吐期間

一人暮らしを始めてから私は大学を休学した。
過食とバイト、あとこれは簡潔に表現できないのだが外の世界に出て息をしていくことへの渇望と焦燥感、に忙しかったからだ。
休学をするにあたって父親をどう説得したのだろう自分は?と今でも本気で不思議である。生命力に小突かれるようにしてアップアップと息をしていたので父親の恐喝(あえてこう表現する)もあっさりクリアしていた。尿意とかそういう生理現象のようなもんで意思で我慢できるレベルじゃなかったか、ここは我慢しないという意思を持ったかどちらかだ。高校時代丸裸だった木が一斉に根を伸ばし葉をつけて成長する感じ、がイメージとしてあった。同時に過食嘔吐なども止まらず、多少不自然に成長している自覚もあったけど。あ、AKIRAの鉄雄が膨らむシーンもイメージにあった。


授業は受けなかったが同科生にはわりと会っていた。サークルにはほぼ毎日通った。
バイトがない日は住んでる町の端から端まで散歩して歩いてすごし、あちこちのトイレで吐いた。(吐くと血液の状態がおかしくなってふらふらします。当然、危険です)
土日は母親の買い物に付き合った。
そんな生活を続け、結局復学せず、バイトを2・3回変え、そのままある会社に就職した。


退学を決めた頃から両親は土日だけではなく平日も私に会いに来るようになった。ほぼ毎日毎晩電話がかかってきてバイトが終わる時間に二人で車で迎えに来、車内で手作りの弁当を食べたり定食屋に行ったりして夕食を済ませたあとスーパーで買い物をしてアパートまで私を送る。そのあと二人は大きな銭湯に出かけるのだが、私も週に1・2回は一緒に銭湯まで行った。土日に私の仕事がない日はこのコースの前に母との買い物めぐりが入る。この過保護というか過干渉というべきか、は、全体6年くらい続いたんじゃないか。・・・ええ!?今数えなおしたんだけどやっぱり6年だ。唖然呆然。今の私は6年も耐えられない。


毎日迎えに来る両親は「お前がちゃんと食べてるか心配だから仕方がない」と言っていた。食べてますよ、食べてあとから吐くのだけど。*1


土日と平日夜両親との予定で埋まっていたのは、両親は私が遠距離恋愛と知っていたからである。別の予定がある嘘をついて両親のお出迎えを断ればいいものだが、嘘をつく嫌な感じと、どんな友達?と追求されてまごつくのが面倒な気持ち(狭い街では別行動の両親とばったり出くわさないとも限らない。実際昨日どこどこでぐみが歩いているのをクルマで見かけたわよ、あれはお友達との帰り?とかしょっちゅう聞かれたしな。つまりそれくらい両親も家に居ず放浪しているという証拠でもあるわけだが)、あとは黙って両親と会っていれば私の生活費(メシ、フロ)が助かるという理由からである。


就職してからしばらくして、私は遠距離になっていた恋人(サークルの元先輩)と別れた。そして別の人と付き合った。その旨両親に伝えた。 すると両親からの電話攻撃は約8割ほどに、お出迎えは3割ほどに減ったが、減っただけで無くなったわけではなかった。
その人と付き合ったのを区切りに自分の爆裂な生長期間は終わったのかな、と思った。ついでに私は過食を止められそうだったので、止めてみた。

*1:この期間の自分を「仕方がない」とは私も思っていない。