2005-04-01から1ヶ月間の記事一覧

虐待の記憶(5)

長男による性虐待に一度だけ父が介入してきたことがある。 父が長男を回復させようと努力していた頃、長男が父に私への性的いたずら(←ここはあえて「いたずら」と表記)を打ち明けたらしいのだ。それを聞いて父が私に『それらしいことがあったか』と尋ねて…

のろのろ感想

土曜日、児童虐待のドキュメント、報道劇場「児童虐待〓傷痕からの救済〓」を見た。わたしは、虐待のことで直接医者にかかったりカウンセリングを受けたりということをまだ経験していないので、虐待について外部のものが介入し対処する「現場」のことには無…

サバイブのこと(2)

中学生のころの追記。 中学のころは生活こそ問題なかったが、自分に問題が無かったわけではない。 小学生のときよりは分別がついて自分で虐待現場であったことを客観視するようになるとそのあまりのヤラレっぷりに愕然とし、また、性の仕組みを知ったり周り…

サバイブのこと(1)

さて、虐待を受けることとそれを改善できない環境にいた間、私はどうやって生きていたかというと、うすぼんやり生きていた、という感じだった。 小学校のころは虐待最前線にいたが、自己を客観できないという幼児性もあいまって、メンタルというよりかはフィ…

虐待の記憶(4)

ちょっと生々しい内容、ご注意! 小学校時代、家のなかで逃げても加害者に捕まると、あとは性的接触だ。肉体的不快感もひどかったが精神的に潰され続けたことの不快感のほうがいまだに尾を引く。 強制的に呼びつけられて脅され口止めされたあと、加害者側だ…

看守ではない

もちろん看守的でない先生ともたくさん出会いました。つか、そっちの数が圧倒的です。教わることは多かったです

看守とおつとめ

私はこれぞ看守型という教師は2人出会いました。小学校と中学校のときです。小学校のときの女性の教師はズバリ担任で、私が保健室登校してたのはそのときでした。口癖は「マナー」と「ルール」。子供を厳しく取り締まる割には男子に甘かったりして、気がつ…

保健室登校と看守教師の話

以下は前の日記http://d.hatena.ne.jp/duchesnea/20050415で タノ さまからいただいたコメントから派生する内容です。

家庭のこと(6)

私が成人になったころ性虐待のことでひどいフラッシュバックを起こし、もう家にいられないと思ったので一人暮らしをはじめることにした。(ヒステリックな性格に見えただろうなあ。) 私がえらい剣幕で家を離れたあとの実家は、長男がどんどん幅を利かせ陰惨…

家庭のこと(5)

実家にもイベントはあった。家族マージャン、旅行、家族会議(笑)、外での食事、etc。楽しいふざけあいもあったし、みんなで歌を歌ったりもした。それは、長男が家庭内暴力をするようになってからも。しかし暴力が始まった年頃からはさすがに長男は素直な参…

家庭のこと(4)

亭主関白の続き。 実家はモノには困らない家庭であった。 欲しいものは言えばたいてい買ってもらえた。父の気に入る形で。 というのは、母や私(長男はわからん)が必要なモノ・欲しいモノがあると一家の財布である父にいい、値段交渉し、それで買ってもいい…

家庭のこと(3)

私の父と母は、結婚した当初と現在では関係性が微妙に変わっている。結婚当初〓子供が成人するまでは、いわゆる亭主関白の夫婦だった。 母は毎月決まった生活費のことしか知らない。父の給料がどのくらいか聞こうとすると「探りを入れた」だけで激怒するので…

最近買った本

人生・愛と美の法則 (NHK人間講座 (2005年2月~3月期))作者: 美輪明宏出版社/メーカー: 日本放送出版協会発売日: 2005/01メディア: ムック クリック: 1回この商品を含むブログ (18件) を見る美輪明宏さんのメッセージは頼もしくて優しくてすてきだ。 夕凪の街…

文中父のことを鈍いと書いたが、かく言う私は大雑把のぬけ作であることが多い。ここを読んでいて心当たりがある方、ごめんね

両親とは去年の秋以来交信が途絶えている。

家庭のこと(2)

私の母は、どういう人だったんだろう。彼女は存命中だが過去形でしか書けない。 母は、私をとても愛してくれた。父も私を愛してくれていたが、彼のお山の大将的鈍さのせいでその愛情は受け止める側に届くときには何割か減っていたか、もしくはもともとその形…

虐待の記憶(3)

小学生のときは実家が3Kのアパートだったので、両親が留守だと家はとたんに狩場と化した。学校から帰って親がいないと、とても緊張する。奴(加害者)が帰ってきませんように・・・。奴が帰宅し、家に私しかいないと、絶対に呼びつけられる。ので、あらかじ…

ブログで虐待のことを書く理由

虐待は私にとって人格を決定する一大事だったから、自分が何か行動を起こしたり発言したりするときには必ず、虐待のことを考えてしまう。本当に人生の大半を、虐待のことばかり考えてすごしてきたし、これからも考え続けるだろう。私は忌まわしい記憶が一番…

家庭のこと(1)

私の父親は親類縁者の中では、わがまま(正義漢としてのわがまま含む)で有名だった。 彼が威張っても誰も刃向かってはならないという暗黙のルールがあり、暴力の下地があったということだ。父はそれを自慢に思っていたようだし、いまでも、ガキ大将的誇りを…

今年に入ってからドストエフスキーばーっかり読んでいる。 『教育が民衆の自己過信を育てることは、認めざるをえない。しかし、それはけっして欠点ではないはずである。』新潮文庫「死の家の記憶」工藤精一郎/訳 より わたしにとっておたくがこれに当てはま…

虐待の記憶(2)

受けたのは性的な接触だが、両親が留守にすると、4つ年上の加害者は私を支配することに専念した。 小学校低学年の子どもをあれやこれやの手で脅したり言いくるめたりして追い詰め、性的な要求をし、気まぐれにほかのどうでもいい欲求までぶつけ、巧妙に口止…