家庭のこと(5)

実家にもイベントはあった。家族マージャン、旅行、家族会議(笑)、外での食事、etc。楽しいふざけあいもあったし、みんなで歌を歌ったりもした。それは、長男が家庭内暴力をするようになってからも。しかし暴力が始まった年頃からはさすがに長男は素直な参加形態ではなかった気がする。そのうち長男と一緒になど考えられないくらい暴力の翳が濃くなっていった。


長男と、母の間に親しい交流はなかった。
母と私はやりすぎなくらい仲が良かった。
長男と私は、表向きはまったく交流がないようにみえて、虐待関係であった。
父と長男は?
長男が暴れると父は最前線で暴力を受け止め、おさまるまで付き合い、最後には二人でこもって話し合い、『あいつはいつか良くなる』といって終わる、その繰り返しだった。おそらく父の改善策だろう、長男と二人だけで何かのスポーツをしに出かけていくことも多かった。父の移動の関係で長男が遠方の学校に通うようになると、父だけでも毎月会いに行っていた。


こうしてきちんと書いてみると良くわかる。父は改善しようと努力していた時期がある。父と長男が二人で出かけることが多かったころ、私も父と二人で出かけることが多かった。そのときの父との思い出は、私の中で一等大事なものとなっているくらいだ。(つまり、そのときは支配的でなく接してくれたのだ)それは、忙しさに逃げていたことへの反省からきたのかも知れないし、母に訴えたいものがあってのことかもしれない。ひょっとしたら単純に私が問題児だったことの対策かもしれない。真相はわからないが、どんな理由からでも、嬉しかった。


そういう努力にもかかわらず、状況は『あいつはいつか良くなる』が繰り返されていくうちに少しずつ悪化していたのだ。長男が進学で新しい家にはじめて棲むことになったときには、父と長男の関係はもう一歩進(?)んで、父が長男の課題を手伝い、顔色を伺い、使い走りを引き受けることを当たり前とする関係になっていた。ちょっと傍からみていられない位、尽くす関係になってしまっていた。


この辺から父の亭主関白はちょっと変わってくる。