目的

このブログの目的ってなんだっけ。またまた考えてみた。

ちゃんと検査したこと無いけど、多分私は子供を出産できる身体だ。私は体力が慢性的に無いので、入籍もしたとこだしそろそろ自分が子供産みたいか産みたくないか考えようと思っていた。
それと平行して私は私が虐待を受けたのだということを口にしたくなってきた。それまで打ち消したり打ち消されたりしていたこの問題は、消したままでいては良くないのではないか。ACとか虐待の連鎖とかそういうコトバを耳にするたびにそれに対して語る内容を持ちながら何も言葉にできないことに苛立った。


そこでとりあえず家庭内暴力関連の図書を探して読んだ。因果関係を説明するということが出来るんだなあーということを漠然と知った。ネットで同じような体験を探し回った。するとそこには虐待経験について熟練ともいうべき専門用語を操っている人々がいて、驚いた。言葉は力だ、私は私を前進させる力を言葉から得られると思った。そして長い時間をかけて、両親に手紙を書くことにした。


手紙もようやく書き終わろうとした頃、父親が私の街に会いに来た。聞けばこの街の近くの都市に新規の仕事の足がかりを得たという。「しょっちゅう遊びに行くからな。何だお前、嬉しそうじゃないな」こんな普通の言葉ですら私にはもの凄い打撃になっていた。今まで打撃的と感じなかったほうがおかしかったのだ。


たずねてきた父と会う、配偶者と一緒に。父は私にばかり話しかける。内容はおもに母のこと。どうでもいい学生時代の私のこと。「母さんは今趣味の○○講座に通っているんだ、母さんが外に関心を持ってくれてちょっと安心している、今まで母さんを家に縛り付けて悪かったなあって思っているんだ」と酔っていう父。私は髪の毛が逆立つかと思った。「それは、こんなところで私に言わずに直接お母さんに言ったら。」半年以上手紙を書いては消して書いて言葉を知っては消して、崖っぷちでいえたのがこれだけだった。父の返事は「もう言ったよ。」


その席の最後のほうで父が私に強く言ってきた。「お前、33歳までには子供を産めよな。」「はあ?そんなの計画したから産めるとかそういうもんじゃないでしょう」「だからもうお前はこんな年なんだぞ、いいから作りなさい」「知らないよ。それは自然に任せるものでしょう」「いーや、産め。いいかこれは絶対だからな」言っておくがこの会話に(笑)は一切入っていない。こんな会話を真剣にしている自分たちってなによ。


私は赤ちゃんを生みたくないわけではない。だから連鎖とかいう呪いのコトバを聞くにつけ自分は大丈夫だ魔法にかからないぞと自信を持ちたくて調べてきた面もあった。ところが父の「産め」を聞いたとたん絶対に産みたくないという気持ちが生じた。だめじゃん。私は父への気持ちから子供を守れて無いじゃん。まあ、まだ作ってもいないのでできたらもっと必死になるのかも知れない。でも火事場のバカ力じゃなくてもっと普通に強くなりたいんだ。


ところでその手紙は会合の日の一週間後に出した。内容は兄による長期の虐待経験の告白。あえて罪は問わなかったはずなのに返ってきた返事(父親からのみの返事であった)には責めるなら母さんではなく私を、ヨヨヨ。とか、あなた(ぐみ)の癒しを願っているとか、そういう内容だった。私が求めているのはそんなことではなくて急務のあんたらの長男との関係を何とかしてよってことだったのだが、またそれを両親宛に文章にするのは労力が大変要るようで、まだ書けていない。書かないかもしれない、そして後(両親が死んだ後)で長男が及ぼす害に無力であってしまうかもしれない。


私はまだヨワヨワの若造だ。今まで否定したかったが心の病気も抱えていることも否定できなくなった。これだけ自覚してなぜ医者にかからないかというと、私には医者も父とそう変わらないように見えてしまうからだ。だからここで書いて書いていこう。

というわけで、現在ここは病気克服ブログです。