サバイブのこと(3)

私の高校進学の頃、奴(性虐待加害者で実家の長男)が家に戻ってきた。暴力健在。部屋に鍵がついたので私が接触を受けることはなくなったが、両親が留守のときは部屋の扉をガチャガチャ言わす。両親がいるときは父との格闘か、両親の扉付近でなんかダンダンガンガンやっている。(ちなみに両親の部屋は一番奥である。彼らの2重にある扉の1枚目付近は、私の部屋の前。長男がダンダンガンガンいわせているのは、私の部屋の壁とか、だ。)
私のほうがうるさいし怖いと両親に訴えると、両親は『タイヘン!じゃあ、私たちの部屋に避難しなさい』といって両親の部屋の扉の鍵をくれた。わあ、うれしい!って、んなわけあるか。でも、きっちり避難させていただいた。


高校生のころ私の中身は、中学のころとは比べ物にならないくらいどんよりしていた。
家が自分の力ではどうにもダメなとき、まだ高校生だという年齢リスク込みで外に出るか、じっと我慢して内面を腐らせるかどっち取る?で私は腐らせるほうを取ったのだ。腐臭に対する抵抗は、生活に使うパワーを最小限まで落とすこと。
動かない、目立たない、喋らない。
この法則で生活していると学校に登校するのが本当に辛い作業だし、かといって登校しないで家にいるのも辛いし。3年も我慢するのは気が遠くなりそうだったが、何とかやりおおせた。実にはならなかったけど。


当時、死にながら生きる私にも活力となったものがある。それが『空想の世界』だ。
一人の時間、私はずうっと音楽を聴き絵を描いてすごし、そのほかの出来事はみな、瑣末なことになった。
(ちなみに、高校生になって初めて空想の味を占めたのではなく、それまでの生活の中でも割と空想に耽る方ではあった。絵を描くことにのめりこむのを覚えたのは小学生のとき)




地元の高校生の大きなスポーツ大会の開幕式の応援席の中で、後ろにいた同級生の女の子二人ががこういう会話をしているのが聞こえてきた。『こんなに沢山の同じくらいの年の人たちが集まっている中で、あなたと私は友達。それってすごいことだよね』
・・・ぎゃふん!
若いっていいわね〓と言われる年頃だが自分を若くて活き活きしていると思ったことはなかった。そういう視点は冷静ともとれるので、得意に思っていた一面もあった。しかし。
彼女らは活き活きしている。木に喩えるなら、若くて、しなやかで、葉が生い茂っている。私はどうだ?私の木はどんなだ?


私が進学した高校は地域の中でも一番「生徒がキラキラしている」ことで有名な高校だった。私のような浮きまくる死にかけがいても同級生は疎外したりすることなく、できる限り接点をもとうとする人たちが多かった。今思えばそのような態度の中に、彼らも彼ら自身の問題や悩みに対してそういう対処をしてきたという痕跡うかがえる。残念ながら私のほうがそんなことは無理という空気を持って生きていたけど。皆美しかったですよ。本当に美男美女が多かったし。

私は今でも空想好きだ。最近はPCでしか描いていないけど絵も描く。