加害者のこと

(文中、兄=加害者=長男 です。統一せず気分で表記を変えています。)

私が乳幼児〓幼稚園児で兄が小学生の頃、兄と私は普通に遊んでいた。
年齢が離れていたので外で一緒に遊んだ記憶はなく、就寝前に布団でトンネル作りとか枕合戦とか、そういう遊びをした場面を記憶している。他にも無邪気と言えるような触れ合いはあったのかもしれないが、就寝前のドタバタでは「自分がいいというまで背中をかき続けろ」と命令されるといった、虐待の前触れのような、キモチワルイセンサーが働く瞬間も多かったので、特にこの時間のことを記憶しているのかもしれない。


小児のころ、家の中での兄の印象は「うまくいかない子」であった。私が判断したのではない、両親が彼をそのように扱っていたのだ。ケンカがうまくいかない、勉強がうまくいかない、友達作りがうまくいかない。当時幼児だった私が見た兄の姿を思い出してみて、兄がそんなに上手くいかない子だったかどうかはわからない。兄は友達を家に連れてきたこともあったし、アパートの他の子供たち、近所の子供たちとも普通に駆け回っていたようだった。彼が最も上手くいかなかったのは両親との接し方だったのじゃないか、と思う。


兄とは対照的に、私はなんでも許される子だった。母親が私を「身体が弱くおとなしいかわいらしい子」と決めてガードしてしまい、身の回りはピンク色のモノで固められ(それで私はピンクが苦手)、まるで母と私の周りだけ蜜月のようであった。


兄が近所や小学校で悪い結果を出すと「またか・・・」という空気が流れ、両親がもめ、力の差で母親が追い詰められる。そういう気まずさが常に家の中にあった。父親が転勤になり、兄と私が小学校を田舎から地方都市へ変えたところで、問題が顕在化した。両親と兄にとって転校は「うまくいかない」を覆すチャンスだったのかもしれないが、子どもが田舎から地方都市のベットタウンにある大きな学校に転校するというだけでも結構なプレッシャーだろう。そこに両親(直接は母親から)の「この子はダメかもダメかも」という不安を常に浴びせかけられて、兄はもっとうまくいかない子になった。転校してしばらくし、中学校に上がる頃から家で暴力を振るうようになり、私に性的な虐待をするようになった。


ここから私の視点では兄は永久に「加害者」である。


加害者が中学生のときまた父の転勤があり、田舎に戻ることになった。田舎は私にとってのびのびして楽しい所であったが*1加害者にとってはそうでもなかったらしい。この頃の加害者が外でどんな友人関係を持っていたかを直接見た事はないが、父親や母親の話ではどうも学校で苛めに遭ったりした事もあるらしい。*2 *3
兄は中学高校時代はいつも文句ばっかり言っていた。部屋に閉じこもり、出てくると暴れ、両親が見えないと猫撫で声を出して妹を虐待もといかくれて可愛がる(可愛がっているのだという体裁があれば加害者は良心が咎めないから)、その繰り返しであった。母親の手には全く負えなくなったので父親が本格的に長男の相手をするようになった。加害者と取っ組み合うようになって父は「あいつは本当はやれば出来る奴なんだ」を連呼するようになったが、それは唱えていなければ長男の相手を続けられない祈りのような言葉だったと思う。それを母と私は白けた気分で眺めていた。つくづく残酷な風景である。


そして田舎から地方都市へまた転勤。今度は兄以外の家族のみ引っ越す事になった。
加害者はしばらく離れて暮らしていたが大学に入学するために田舎を離れ、また私たちは一緒に住むことになった。父は「あいつはやれば出来る」を相変わらず連呼していたが、久々に見た加害者はどう見ても以前より堕落しており、部屋に籠もり電話を独占し家族には脅しをきかせたり壁や家具に当り散らす、醜い人間であった。大学で一人だけ手下のような友人を作ったらしく、よく電話などでその手下君のことを怒鳴ったり蔑んだりする声が聞こえた。家で同じ役割を担ったのが父親である。気が付くと父親は長男の手足となり財布となり尽くしていた。そのうち私は家を出たので加害者の姿は見なくなった。


最後に会ったのが親類の葬式のときだ。もう5-6年前になるがそのときもやはり、相変わらず、醜かった。私も人の醜さを言っている場合ではないのだけれどそれにしても、親類一同が私の実家の事情を知らないにもかかわらず、彼に対してまともに話しかけようとせず腫れ物扱いするような、彼はそういう類の醜さを持っていた。そんな空気の中、加害者が取っ掛かりを求めてか私に向ってまるで兄のような態度を取ろうと接近してきたのでビックリした。親類が彼を白い目で見る謂れはないが(醜いと思ったものを白い目で見るのは自由ですが。)、私は彼を白い目で見る謂れがあるのである。そういう事をこの人はまるでわかっていない。無邪気なのだ。

*1:楽しかったのは飽くまでも家の外の話。

*2:家族として兄の事が心配だったからではなく、兄のストレスは私に向ってくるから、私はまめに母親に探りを入れて兄の事を知ったし、母も私を愚痴相手に利用していた。

*3:ちなみに、このときの引越しの前には私も不登校やら苛めやらを経験している。なのに不思議と私のほうは問題視された記憶がない。両親にとって問題児は常に兄であった。