強制的なもの

あるアニメの終わりの歌を楽しみにし、毎回腹を抱えて笑った記憶がある。何歳の頃かもよくわからない小さい頃の記憶だ。

正確には、その歌を楽しみにしていたのは兄であった。毎週そのアニメの時間が来ると熱心に見て、最も好きなエンディングテーマになると「ほらぐみ、歌が始まるよ」と促され、とにかく“面白おかしいもの”だから一緒になって笑えというサインをあれこれ出すのだ。たしかに愉快な歌なので私もその歌を嫌いじゃなかった。だから歌の一番面白いところがくると私と兄は二人して騒ぎまくった。「無理矢理興奮する」という事を強烈に知った瞬間として記憶している。

兄との遊びはこのような「無理矢理興奮状態に付き合わされる」という形式が多くて、私はどうも苦手だった。この際、兄がなぜそんなに興奮しやすい児童だったのかを考える事は捨て置く。(逆に、兄の隣にいた私が人より興奮しない性質だっただけかもしれない。自分を興奮しない性質だとは思わないが・・・。自分だけの理由で笑い過ぎることもあったし)。いずれにせよこの差は兄より幼い私にはなんの施しようもない災難であった。

二人の子供がヒステリックになっている様子に両親は「仲良く遊ぶのはいいが、見ていて気分が悪い」と思ったようで、ちょっとたしなめられたり父の機嫌が悪いときはそのTVアニメを強制的に消されたりしたように思うが、問題視するにも微妙すぎて、そのまま保留されたのだろう。故に、私と兄は遊ばなくなってからもずーーーっとこの関係を維持したのである。

「兄と遊んで辟易」する私を知っていたのは母であった。母は私のことはよく知っていて、「兄と遊ぶと疲れる」とこちらが言う前に察して引き離していた。小さい頃の記憶で詳細は定かではないが、近所の子供たちが集まって何かするときに私と仲良しのメンバーが少ないと知ると「ぐみはお家が良いよねえ」と言って兄だけを外に出したりした。そして、「ちゃんと見張っていてあげるからオニイちゃんが帰ってこないうちにコッソリ遊びなさい」と言って兄が独占しているいいオモチャ*1で一人遊んだり、オモチャに気が向かなかったときは、兄抜きの母との時間を楽しんでいた。



ここまでが子供の自分の視点であるが、今書き起こしていておかしいなと感じる部分がある。このような徹底した引き離しの態度からも、母はあきらかに兄の妹への力加減がおかしいと気が付いていたのだ。それは例のアニメを見て狂ったように笑う子供たちを見ても、ひしひしと感じていたはずである。母が私と兄との関係に無理があると感じたのなら何故兄にそれを教えず、私には兄を欺く事ばかり教えたのだろう?
私は母に本当に小さい頃から「お父さんとオニイちゃんには内緒」と言われ続けてきた。内緒の内容は、くだらない事から母にとって重大な事まで多岐に渡っていた。「内緒でいる限り、あんた(ぐみ)には危害が及ばないから。」母には敵がいたのである。味方の私に、敵の欺き方を教え込もうとしたのではないか。

母の私への教えがどんな成果を挙げたか。残念ながら大失敗だった。母は夫と長男の暴言に耐え、私を護ったようで護っていなかった。私は、母の守護を有り難がりながら陰で虐待を受けた。虐待を受けながらも母の守護を「使えねぇ」と捨てられなかったのは、家の中の小さい子供だったせいと、母の守護によりすでに共謀者となっていたため母本人が受けた暴力を一緒に被っていたからと、もうひとつ、耐えて敵を欺く手法を母から学習していたからである。結果的に母は失敗し、自分にも責任の一端がある苦しみを子供とシェアしようとした人に成り果てた。

父が母にとって敵となった時期はいつなのだろう、また、兄が敵となったのはいつだったのだろう。この関係性は意外と早い時期からあって、私がアニメを見て無理矢理笑っていたあのときにはすでに固まっていたようである。

*1:マンガやゲームを、私は殆ど持っていなかったが兄はたくさん持っていた。単なる年を重ねた数の差か、それとももしかしてあれらは共有だったのか