誰が殺したこまどり

虐待が発覚すると「なぜ防げなかったのか」「誰も止めるものはなかったのか」という感想をよく耳にする。

虐待の現場には「虐待を受ける子供」と「虐待をする大人」の2者しかいないのではなく、殆どは周りの協力があってこそ成り立つ犯罪なのではないか。私の場合だってそうだった。兄の虐待の陰に、両親の逃避がくっきりと見える。親戚は父の増長に荷担し、助けのサインを送ろうとした先には厄介ごとを避ける教師。アパートのほかの住人は兄が暴れ騒ぐ声をどのように受け止めていたのだろう。私への虐待も、獲物を捕らえ逃がさない幾重もの圧力が重ねられていたため可能だったのだ。

互いの家庭を監視し合いたい訳ではなく、(ある程度は必要なのかも知れないが個人的に苦手だ)、「なぜ防げなかったのか」「誰も止めるものはなかったのか」と言い放つ声が、被害者を加害者のもとへ差し出してひとり安堵する者の声に聞こえる時がある。