頭の中のいろいろ

「この先一年くらいで現住所から引越し、子どもを産めるものなら産んでみようか」という話をヘソオーさんとしている。まだ心構えのレベルだけど。

http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050904i101.htm
虐待をする親の治療は必要だが、加害者としてはどんな刑罰を科されているんだろうか。追々調べていこう。

親への治療や処罰で隔離が長期にわたるなら、その子どもの多くは施設に行くか親類が育てるようだ。(http://www.crc-japan.net/contents/knowledge/b234_situation.html#p01)”親が育てられない子どもは施設ではなく里親家庭へ”という活動をしておられる方々のサイトをちょくちょく覗いて勉強させてもらっているが、児童を施設に長期間預けるという措置への偏りには私も疑問を感じる。

ちなみに

厚労省研究班などの調査によると、虐待を受けた親の約3割に子供への虐待がみられた。また、03年7〓12月に児童虐待で死亡したケース24件を調べたところ、4分の1に当たる6件は、親も子どものころ虐待を受けるなど不遇だった。心のケアを受けないまま親になったことが、子供への暴力を認識できずに虐待につながっており、親への心理治療が求められている。

とあるがこれは被虐待者をマークしていれば被虐待児を効果的に発見出来るという解釈をするところなのだろうか?

(前にも同じような内容を書いたかもしれないけど、繰り返します)

家庭の傾向は社会の傾向を端的に表しており、一人一人の意識が鬱憤晴らしなどの行為に甘く弱いもの苛めを発見できない・エスカレートを止められないことが最も問題であって、家庭内の虐待に限った問題ではないと私は感じているのだけど、3割というのがどうも、よくわからない。これもあとでちゃんと資料をあたってみたい。

個人的なことを言うと、以前の私は連鎖するという風評に自信を揺さぶられていたが、このブログで自分の過去を洗い出したりいろいろな人の言葉を読んだりしているうちに客観的になれてきた。さすがにもう自分には虐待加害の因子が多いかもなんて不安はない。

強いて言えば、兄からの性接触を(わざと)看過した親をつぶさに見た経験から誰も自分と本気で関わらないという不信感があり、何か小さな困った事が発生したときに誰かに相談できるかどうかという点でちょっと不安がある。子育てをする時、小さな悩みは今までの比でなく出て来るだろう。*1そのためのヘソオーさんでありそのための義父母であるのかもしれないが。・・・とりあえずヘソオーさんとは家族として相互に信頼できる。あとはそれを応用していくつもり。

そういえば私の母は家庭内の困ったことを相談できる人を持っていなかったようだ。夫である父は言わずもがな、母の母は若いときに亡くなり、父の実家は男系家族で相談できる雰囲気ではなかったのだろう。そして『誰にも言っちゃダメよ』と釘を刺しつつ子どもの私に打ち明けていた。さすがに夫婦の性生活のことは母の口から聞いたことはなかったが、兄の育てかたが上手くいかないとか父が横暴だとかいう内容はその都度聞いていた。*2

私が大人になったら『誰にも言っちゃダメよ』が『こんなことアンタにしかいえないんだけど』とか『アンタだけが相談相手よ』などに変わった。

*1:私は「大きな困った事」には大騒ぎする。意識的には、小さな事から大きな事への壁を破るのに一苦労必要。外から見れば、普段平気な顔しているくせに突然緊急信号を出す突飛な人という印象があるかもしれないが、それは所詮見栄えの問題だし。

*2:子どもに打ち明けるのはナシ。子どもは絶対に力になれないし、子どもの心には無駄に罪悪感だけが残る。