開けてびっくり

田中圭一ヤング田中K一 (ニチブンコミックス)を買った。この本は基本的に著者の自伝だそうである。買ったので書くけど、私は田中圭一が嫌いだ。

この人の書く物まねはとても神経が行き届いていて、今まで店頭などで見かけると感心したり笑ったりしていたし、この本でもその筆致は楽しめた。だが第5話の「恐怖のデビル春祭り」と、ところどころ挿入されている座談会のような記事で営業マン時代の悪ノリ話が展開されており、著者の悪ノリは叱る立場の上位者(あるいは世間)に依存する、責任能力を持たないものだと感じた。

その責任能力のなさは田中氏の手の内を明かすかのような座談会に顕著だ。所謂社内苛めの話である。新入社員を遊びで苛めたり途中入社の主任をストレスのはけ口にして追い詰めて潰したりという内容を、コミックスの中で笑って話しているのだ。

田中氏の作品を読むといつもよぎる大丈夫なのおー?という不安と、それでも笑わずにはいられない完璧な物まね。それだけの情熱を注ぐにはオリジナルの作品への強い思い入れがあっての事だと思っていた。が、もしかしたらそういう思い入れだけではなく、権威を獲得した作家の物まねを完璧に披露する事によって既成事実を作り媚を売ってしまう、という戦略的図々しさをかなりの割合で持ち合わせていたのではないか。パロディーというのはそうしたものかも知れないが、図々しいものだからこそ細心の注意を払って戦略の部分を見せないでいて欲しいものだ。この本の一番鼻についたところは、座談会というパロディでも何でもない文章によって悪ノリを笑う増長ぶりだ。

私はビートたけしの「赤信号みんなで渡れば怖くない」と、熱湯CMと言う企画が大嫌いだ。いずれも集団によって義務・責任放棄を錯覚する瞬間を強く表現するものだからだ。田中圭一氏の物まねは、著名な作家の筆致を集団の共通ツールにし連帯感を持たせ、集団の力でもって悪ノリをし義務責任を足蹴にする快楽を表しているに過ぎない。