最近mixiで本について振り返ることがあった。触発されて気持ちがはみ出してきたのでここにぼんやり書くことにする。

私は漫画や詩が好きではあったけれど小説とはあまり縁がなかった。去年仕事のウエイトを軽くして、人生で初めて貴重な余分な時間ができたら小説を読むようになった。理由は簡単、お金が稼げなくても図書館は無料で本を貸してくれ、図書館で目だって置いてあったのが小説だったから。この一年間でみっちり追って読んでいった作家さんは桐野夏生ジェイン・オースティン高村薫ドストエフスキー。きっかりこの順番だ。私は文章による心理描写に慣れていなくて、桐野夏生のわざと手入れを怠ったナイフのような描写、オースティンの真綿で首を絞めるような礼儀っぷり、高村薫の高潔さや間接的ないやらしさ、ドストエフスキーの怒涛のようなイタコのような感情表現、漫画は絵なので読者は流そうと思えばいくらでも流せた(そして濃密な作品は読もうと思えばいくらでも読めた)のだけれども小説では逃げ場がなくて、大量の感情がダイレクトに脳に入ってきてアホになりそうだった。いや明らかにアホなのだ、感情たちの前でいまだに「スゲー」って固まっているから。でもどんな恥ずかしい感情にもどんな微細な感情にも語られる場所が確かにある、そのことを知れて本当に助かった。これがこの一年で拾った一番いいものだ。

自分の小遣いが稼げるようになってからは図書館から借りるのではなく買うようになったので、高村作品の一部と読んだドストエフスキーは全部手元にあるし、新潮のパンダのおまけもゲットした。やったあ。