ふたたびロストパラダイス文書
http://d.hatena.ne.jp/duchesnea/20050615 の続きです。
サボテン姫とイグアナ王子 (清原なつの忘れ物BOX (1))
- 作者: 清原なつの
- 出版社/メーカー: 本の雑誌社
- 発売日: 2005/05
- メディア: コミック
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june_tさんの日記に考察が掲載されております。
的確に書き出されていて、読んでいて安心を覚えました。予め妄想とおっしゃる姿勢にも学ぶところ大です。*1
作品について改めて咀嚼した部分を書き出してみます。
- 舞台装置について
演劇とは役者が代わっても、再び演じることができる
過去から繰り返されてきた、ということは、たとえば(2)で書いたとおり、村人の衣装が現代的なものでなくなっていくことからも連想できそうです。だからこそ教授が読んでいる文書になっているわけですし。
june_tさんの日記より引用させていただきました。つまり、主人公の身に起こったことは「ずっと」「いたるところで」起こっているのだと。これを明瞭に感じ取る勇気と自信がいまひとつが私にはなかったです。june_tさんの知識はすばらしいです。
もっとも同時に、「劇」として描くことは、これが直接的な「現実」ではないという効果(緩衝作用)を読者に与えるものでもあるかもしれません。つまり、こういう現実がいたるところにあるよと一方で言いつつ、あまり生々しすぎないように、「これはお話ですけどね」ともう一方でささやく。
これも同ページより引用です。そういえば清原なつのさんは緩衝用にクッションやオブラートを多用する方ですね。この作品にもちゃんとそれがあったのだと改めて確認できます。改めついでに振り返ってみると、主題が衝撃的なだけで、いつもどおり緩衝装置が多い作品ですね。劇スタイルもそうですし劇の延長線上という意味もあると思いますが血飛沫も本物に見えないように描写されています。強姦シーンでも痛みの描写はほとんどなくて傍観スタイルですね。
舞台についてですが、私はもうひとつ、「晒し者にされる」という恐怖を感じます。本人の希望なく晒すことでコミュニティは無力な女を共有する。一対多のパワーの見せつけの意味もあると思うのです。
- セックスアピール
主人公の女性の性的な描かれ方をid:asamiotoさんが指摘されているとのこと、他の作品と比較してみてなるほどと思いました。確かに主人公は性を強調されています。世間では美しい肢体だけではなくて「軽率さ」もセックスアピールのひとつなんですね、確実に。この事実が私には一番の恐怖です。
ちなみに
この本を買ったときは「ロストパラダイス文書」のあまりの強烈さに載っているどの話も恐ろしく見えたものですが、冷静になってみるとjune_tさんがご指摘のとおり、一貫性のある一冊ではありませんでした。正そうか放っとこうかと迷っていましたがこの機に訂正します。
*1:私は妄想がちで、それを自覚しているときはブレーキを踏み過ぎてなかなか遺憾ですし、自覚がないときは傍から見るときっと怪しい人でしょう。