熱血教師とサバイバーの卵

http://d.hatena.ne.jp/duchesnea/20050518で高校時代の教師のことでいただいたコメントを機にその教師(Aとします)のことについて考えてみました。


A担任のことは「根っから合わない、私には担任教師としてのAは必要ない、向こうも別にムキになって生徒としての私を必要としなくていいでしょう、邪魔」って思ったまま記憶下ではまったく放置していたので、改めて掘り起こしてみると昔の精査されていない感情がボコボコ出てきて、すごく手を焼きました。掘り起こしてみて本当に良かったです。A担任の前で掘り起こして見せればAも満足したのでしょうが、それはやっぱり無理な話です。それはなぜか。Aと私とでは価値観が合わないから。そしてAが当時私にとって大事なところで鈍感だったから。

大人として「趣味が合わない人とはうまくやっていく気はない」って言い切るのは問題あると思いますが、高校生と教師との間では趣味の披露は単なる趣味ではなく、最も重要な政治アイテムでした。
たとえば、Aがやっていたことに、毎日一人ずつ書く形式のノートを回させてその内容を毎日Aがチェックを入れていた、というのがあります。これは、そのノート上で披露される生徒の日常、趣味、悩みなどを全員で共有することを図ったものです。
Aはそのノートを基本にして毎日のクラスのコミュニケーションを築いていましたから、いつもネタは尽きず、ノートに赤裸々なことが書かれれば書かれるほど喜んで飛びつく、もとへ、非常に問題視して議題に取り上げ、議論を白熱化させていたわけです。そして結論は教師である Aが促す形に、どうしてもなる。これは立派な統治っす。しかもクラス内なんてたいした物理的公共問題がないから、思想面ばかりの。

そして価値観。これはA担任の価値観がハッキリしていて、Aが目を輝かせているときの話というのが、

  1. 恋愛至上主義でいいじゃない。受験生でも17歳の自分は一回しかないんだよ!
  2. とにかく成功した生徒が大好き。あんなやつこんなやつ、皆最初は悩んでいたんだよ(だからバンバン悩みをノートに書きなさい)
  3. あとで田舎に戻るにしても、まずは「東京」だ!東京の大学にいって東京を吸収するのが大事なんだ!小さなプライドにしがみつくな!

なんか、書き出すとすごいですね。あと、過去の教え子たちを実家に呼び寄せると、非常に遠くからでも駆けつけてくる、その移動手段が「飛行機」だったことで二重に満足感を示したり。自分の大学生活で出会った本物のボンボンのお金の使い方を目の当たりにした話とか。こういうエピソードは多分あとで同窓生たちに「笑い混じりに」話されるというのも、彼はある程度許容していました。
要はAが自分の体験に基づいた「価値観の変革ポイント」(←これ、もっとうまい言い方あったはずです)をさらけ出し共通の起点として提供し、どんなに間違った価値観でもいいからついてきてごらん、騙されて自分の殻を破ってごらん!・・・ということがしたかったわけですね。Aはノートに何も書かなかったけど代わり気分しだいでいつでも上記のようなことを発表していたわけです。発表して、間違ったら間違ったで生徒と議論して笑いあう、と。生徒が騙されたら騙されたで、自分は騙した者としてとことん付き合う覚悟もあったのでしょうね。だからOBと密に連絡を保ちたがるのか。

この価値観のどこが私に合わなかったかというと、ずばり、彼が披露していたものは、私がそのとき虐待から逃れることやそのとき虐待の記憶と戦うのに何の役にも立たないことばかりだったから。彼の価値観の礎は若さとお金なんです。いや、それが悪いこととは全然思いませんし、若々しくて恋してお金に不自由しない自分になるために努力をすることって大事なことだとは解っていました。問題は飽くまでも私のほうにあった。が、その問題を解決しないと行けないステージばかりを無意識にでも強要したのは、Aが浅はかだった。瀕死の者の瀕死さに気付かずに遊園地に連れて行こうとするようなものです。そしてAのように自分が鈍感だったら相手に言わせればいいという用法では、言わせられるほうは2次被害必至ですから。私は2次被害を覚悟してまで何かを得たい時期ではなかったし、しかもAは立場が対等でなかったし。Aはそこにも鈍感だったので統治者として君臨してしまったのだと思います。

とはいえ私から目を離してみると、Aはやっぱり最後まで生徒と戦ういい先生だったのではと思います、本来高校生はいろんなエネルギーに満ちている存在ですから。彼のように生徒に向かって「一対一でもトコトン付き合うでー」という頑丈な姿勢に却って安心する生徒のほうが多い高校だったので、「Aが統治者として君臨」といってもそれは強固なものにはなり得ませんでした。だから、AはAでよかったのかなーと思います。

・・・選んだ高校間違ったんじゃないか?それは一番痛いところです。
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で、ここからはコメントいただいたタノさまへのお返事なのですが
>積極的に他人様と関りたい、て覚えるのはタノも担任教師と全く同様な性癖
他人関係であることと教師-生徒関係であることは根本的に違うと感じます。

>他人様を自分の想い通りに如何こう変えようなんて他人メインで不遜な欲求
彼は変えたいだけでなく変わりたいという欲求もバンバン出してきていましたが、生徒がそれだけエネルギッシュであると前提されるのは正直つらかったです。根拠はきっと「若いから絶対どっかにエネルギーあるはず」ってとこだと思うんですが、省エネの私には何でこんだけ苦労してるエネルギーをあんたに捧げなくちゃならないんだよ!という不満が募ります。上に記しました「対等でなさへの鈍感さ」が自動的に他人メインとなるカラクリです。そして、「あなたの目論む最低限のエネルギーすら出せない生徒もいるんです」と今なら何のわだかまりもなくA教師にも説明できるであろう私。

>「頑張れ、克て」
は、伸びようとしてる人には有効なんですね。そしてなにより激励をする本人が頑張って克とうとしていること。私以外の大半の生徒にはA担任の「頑張れ、克て」が届いていたようです。