残酷な神が支配する・全17巻 /萩尾望都 感想

この作品は、性虐待についてのフィクションだ。私が虐待のことについて記憶のふた(というか、フィルター)を破ろうともがいていた時期に連載されていた。
ビジュアル的な表現に長けている漫画家さんだけあって、痛みや気づき、開放の糸口が見える瞬間の表現などは一目で解るようになっており、自分の感情を形にすることすら戸惑っていた当時の自分には非常に助けになった。『体がバラバラになりそう!』なときにはそのセリフを主人公に言わせるよりも、ほんとうに繋ぎ目を失って自我がバラバラになっていく絵に重心が置かれていたりするのだ。このような作業を成し遂げるにあたっての作者の大きな意思と苦痛が偲ばれる。


主な登場人物は
性暴力被害者である男の子、ジェルミ
加害者でジェルミの義父、グレッグ
ジェルミの母、サンドラ
グレッグの息子で後半ジェルミのパートナーとなる、イアン
である。サンドラとグレッグの結婚、その結婚に仕掛けられたジェルミへの虐待の罠、自我が完全に崩壊するかの瀬戸際でジェルミがグレッグに対して行う殺人。母親サンドラもそれに巻きもまれて死ぬ。
ジェルミが行った殺人は車の欠陥のせいだったという可能性も高く、犯罪はグレーなまま処理される。
その後、物語はジェルミの負った傷に対する話に変わる。


ここで急に重要人物になるのがイアンで、この先物語の大半は彼の視点が原点になる。
イアン視点の描写が非常に丹念で血の通ったものなので、この作品はジェルミのように虐待を受けた人の救済の物語ではなく、虐待に直面して関わりゆくことを選んだイアンという人の物語なのだ、と思うくらいだ。
ある意味作者の視点もそこに留まらざるを得ないから、イアンが作者の大作業を代弁する形になったのだろうか。(作者が実際に虐待を受けるわけにはいかない。想像でかなりカバーできても、イアンとジェルミの2者ではイアンに語らせる真実を多くとったと)


イアンは虐待の事実を疑問に思い、調査し、ジェルミを追い詰めたりへたな慰めを言ったりし、ジェルミに逃げられ、それでも諦めず追いかけ、調査を続け、ジェルミを捕まえ、こんどは肉体関係を持ち、自分に疑問を持ったりジェルミに嫉妬したりしながらジェルミの痛みを彼自身の問題にまで肉迫させる。機能を停止させたがるジェルミの心を何とか動かそうとする。最後はイアンもボロボロだが、機能停止は避けることができ、互いに別々の生活ペースを確保するに至る。


精神医療やボランティアにかかわる登場人物が多数いたが、彼らはジェルミに肉迫したりしようとしない。ただ標識のように確固とした数字を常に示しているだけだったのが印象的だった。知恵というものはそういうものなのだと思うと心強い。


そしてあえて肉迫していったイアンは、手伝ったのか邪魔をしたのか解らないまでもなんとかジェルミの心臓が自分で動きだすのを、出産のイメージを通し、自分の体験として見届ける。(また停止する危険は十分にあると思うが、その回避のためか、年に一度はこの時のように接近する習慣を残したと後日談にある。)


これは、実際に現場で起こりうることなのか私にはわからない。イアンがジェルミのパートナーとして存在しなければあんなに肉迫できなかっただろう、とは思う。だがそれは、ジェルミがパートナーを必要としていたのではなくて、イアンがパートナーとしてしかジェルミの傷に肉迫できなかった、ということだ。そして、生活を確保したあと彼らは別々になるのだ。


私の場合は、誰かにイアンのように肉迫された経験はない。
私の心臓を動かしているエネルギーはいろんな人との交流から来ているような気がする(掠め取ったものもあるだろうが)。私もパートナーと呼ぶべき人はいるがその人とは、「あの人から何もらった」「誰から何もらった」という気持ちのほうをシェアリングすることが多い。まあ、パニクった時は呼吸を手伝ってもらったりはしますが。


イアンのような人が私に肉迫してきたら、どう思うだろうか。・・・キンパチ先生みたいなの思いついてしまいました。冗談は置いといて、生きるか死ぬかでヘロヘロの精神状態だったときに出会ったのだったら、、、・・・うーん、悪いほうにしか考えがいかない。