2006-01-11 連絡なしの可能性 12月19日に速達で出した父への手紙/母への手紙、は、どうなったのだろう。 1月5日くらいまでは親からの返事が来ることを重圧に感じていたのだが、 今日になっても音沙汰がない。「許しを謂われても私は許さない」「そんなことより兄の問題をちゃんと話そう*1」ということを明記したから、無視されているのかね。次に連絡のあるときは、母の体が本当に危なくなったときかもしれないな。そのとき、父が母を人質にしていたかどうか真に明らかになるが、そのときまで待つのはこちらにとって不利よね。追加で手紙を送るか。 *1:この“話そう”は、死に物狂いの譲歩・可能性の模索なのだが。