助けられたこと

私は高校生の頃谷山浩子さんのアルバムを沢山聞いていたのだが、今はポツリポツリと失くしたCDを集めるだけで聴かない。寂しくも感じられるがホッと胸を撫で下ろすような感慨もある。多分私は現実逃避の勢いに任せて谷山さんの曲にのめりこみすぎていた、と思う。当時はそこ(脳内)だけが自分の場所だった。そして鍵も付いてTVもあった自分の部屋は即ち脳内部屋だった。学校から家に帰ってから「何をして過ごしたか」を殆ど覚えていない*1が、谷山さんの曲を聴いていた時などの心象風景だけはハッキリ覚えているくらいだ。

聴かなくなったとはいえ、今でも谷山さんの声や歌詞や和音は耳に馴染んでいる。だけどたまに自分のCD整理をして見かけた谷山さんのCDの歌詞カードを見ると、遠いのだ。その遠さは、私が谷山さんの歌詞や曲をだいぶ好きなように作り変えて楽しんでいたことに起因するだろう。くどいようだが私の当時の脳内(でありなおかつ現実にあった)部屋は拙いながらもそれはそれは完成された世界で、あっちを見れば知らない女の子が走っていたりこっちをみれば海の底だったりしたのだ。それは手元のCDを聴いてもどこにもなくて、私の記憶にしか残っていない。

しかし遠く感じても谷山さんの作品の良さには変わりがない。谷山さんの作品世界自体が、美しく抑制が効いていながら倒錯的だったりアンバランスだったりする要素も多かったため、安心してのめりこんだり遊んだりできたのだなあと思う。

*1:、というか殆ど何もしないで過ごしたというほうが正しいのか