昔話

昔付き合っていたTさん(一目ぼれした先輩。http://d.hatena.ne.jp/duchesnea/20050627/p2参照)には虐待のことを話さなかった。話そうとしたけど話せなかった。


世間話的にはTさんに「実兄を殺したいくらい嫌いだ」とははっきり言っていたし、もしかしたら隠れて嫌な目に遭ったというようなことくらいは話していたかもしれないが、私がことセックスの場面で差し出す側として振舞う癖を持ち、*1Tさんと付き合っていくほどに対等さを維持するのが難しくなっていくような関係であったから、虐待の事を打ち明けられるような雰囲気ではなかった。

私のほうも自分が受けた虐待についてきちんと語れるほどには心の整理をしていなかった。いや、まだ始めていなかったと言っても良い位だろう。長年受けてきた性虐待の傷を軽く見ていたし、もう大人になったのだから逃げ切れたと誤解もしていた。逃げ切ったのだから後は放っておくのが治癒には一番なのだとも。よく、失恋なんかの傷を"時間が経てば良い思い出になる"なんていうのと同列に扱えると思っていた。しかし、傷の度合い・逃げ切れたと思っていた事・治癒の技法、のどれもが誤認であったという事はその後何年もかけて身体をもって思い知る事になる。

Tさんと付き合いだした頃私は、過去の嫌な思い出にこだわる事は治癒を邪魔するものだと思って嘆いていた。故に私はTさんに『実兄を殺したいほど嫌いだが、実兄を許せるようにならなければならないと思う』と言った事がある。Tさんはこのセリフが印象深かったらしく、『蛇木さん(←ぐみの苗字)*2はいつかお兄さんを許さないといけないんでしょ?』と言われ続けそのたびにウンザリしたりしていたので、許さなければならないという認識が大間違いだったとだんだん確信を持つようになってきた。虐待の事も知らないTさんが何故この重要フレーズに反応し続けたのかは謎だが、Tさんの反復によって厭でも反芻した私は独力よりも大分早く間違いに気付けたのかもしれない。全然感謝しないけど。

Tさんによる『許すべきって自分で言った』は何年間も、結局別れるまで言われ続けた(苦笑)。途中からはさすがに私も『兄の事は今嫌いなんだから無理して許す気はない』と訂正したこともあったが、受理されずじまいだった。

ちなみにこのようなTさんの融通のきかなさは、当時の私にとって非常に魅力的に映っていた。その傍若無人さをぜひとも習得したかった若い頃の話。

*1:無論、教育の成果であり私本人はこの時点で無自覚。Tさんとの関係以前の性的な経験は、兄による性虐待のみであった。

*2:蛇木さん、と"さん"付けだったが、尊敬謙譲の"さん"ではなくて丁寧の"さん"。Tさんはちょっと気取った感じが持ち味の人だった。