我々

我々、という枠の中に入ると私は大抵自己主張する力を失う。だから対立関係よりも同盟関係のほうが何倍も怖い。
それを避けるために「我々」になっても自分が消えないくらい考え方が(瞬間的に)似ている人か、あまり自己主張しない人との間でしか生きてこなかったのだなあ。

同盟といえば私と母親がそういう関係だったが、私は母親の責任も背負う必要はないのに「お母さんだけは救わないと」と思っていた時期がある。これって、幼いうちから父親に母親を託された長男の持つ葛藤と似てるんだろうか?だとしたら私には長男ってやってられないな。お母さんをいったいなんだと思っているんだ、そして父親と長男の間でやり取りされるお母さんってなんなのさ。

配偶者のヘソオー氏ににそういう責務はあまり感じられない。そして義父母は私の「虐待」について、「虐待」という言葉を聞いただけで前のワガママ発言を無神経だったと案じていた、虐待の事について詳しくは聞かないしぐみさんと今までのように付き合うつもりですと、ヘソオーさんを通して宣告してきたのだそうだ。それで私は被害者意識から少し抜け出し、親との対決に全力を出せそうだと思ったのだ。