子供のころは家庭内の様々な問題を仲裁したかった

↑表題、子供だから無理なのだが。嘆いているわけじゃないんだ、無理だから。
私が長い間両親に「もう私に構わないで」と言えなかったのは、両親と私との関係が中途半端に近く中途半端に離れていたからだろうな。
その関係で潰れそうになったのが私だけだったのだから、中途半端を選択して中途半端を病んだのは私だけだったということ。両親は中途半端どころかいつまでも離れない娘を望んでいただろうから。つまり中途半端は私の作戦ミスだ。実家時代姑息に生きて生き延びたため中途半端は私の行動原理になっている。だけどそれは長持ちする作戦じゃないんだよなあ。おまけ的に折衷案を出す能力は鍛えられたけど、中途半端が核にあったままでは肝心なときには使い物にならない(ので、あまり使わない)。

現在の家庭では、私と配偶者は姑息や中途半端をなるべく避けて関係を維持している。付き合い当初私がヒステリックに「問題から逃げない、投げない、掘り下げる」を訴え続けた成果だ。そう、やればできるんだよ。両親には「はっきり言う」第一弾として事実確認の手紙出したし、次はやはりアレだな、両親に問い質すんだな。兄の処置の仕方を。

というわけで今日から手紙第二弾を書いてみる。また書き上げるのに半年くらいかかるんだろうか・・・