お母さんごっこ(ミヤザキハヤオ小メドレー)

男の子と女の子がいると、同じ子供なのにどうして女の子がお母さん(的)役割をやらないといけないのか。
兄が私に求めてきたものはそういう形をしていなかったか。

子供の頃映画風の谷のナウシカの「怖くない、怯えていただけなんだよね」を初めてみたとき私はその所作に憧れたが、それは私が怯えて噛んだ動物の視点にいたからであり、許容したナウシカを理想の大人として見上げたからだった。理想の大人といえば未来少年コナンのコナン少年のほうが私の理想の人間像に近かった。が、千と千尋の神隠しを見てからは千尋のほうが理想的に感じた。なぜなら千尋は女の子供が持てる以上ものもを背負わない方法を知っていたからだ。湯屋に身を取られつつ、金をばら撒く客に「お前が欲しい」といわれて断れる女の子はカッコいい。

それでもどの主人公たちもは現実にはありえない「大人ぶり」を見せていて、それはそれで残酷なことだと戦慄する。逆に大人のほうが迷える者として描かれていることに疑問を感じないのは、子供を大人のファンタジーに利用することに慣れているせいではないのか。

漫画では、一人の兵士が毒され、その穢れた血をナウシカが口で除いてやると『カアサン・・・』と呼ばれるなど、もっと逃れようがなく母性むき出しに描かれてある。14歳の少女に母性を求めてどうする。ナウシカはその位置にいる自分を喜んでいたのだろうか?ナウシカ自身も母親の愛情に飢えていたという描写がどこかにあったように思うが。